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時間と空間の旅
上田裕則Vol.86「終わりは、始まり。そうして永遠は創られる」
好きで聴いていたラジオ番組が終わってしまった。
特段、熱心に聴いていたわけではなかった。移動中の車の中で聞くことが殆どで、聞き慣れたパーソナリティの声で今日が何曜日なのかを改めて知り、一週間という時の流れの速さを思い知った。曜日ごと違うパーソナリティや変わらぬアンカーのトークに耳を傾け、一緒に笑い、ときにぐっと胸を締め付けられた。そのラジオ番組が明日からは、聞くことが出来ないと知って初めて、聞きかじっていただけのラジオに支えられた日常が、いつの間にかあたりまえの時間になっていたことに気づく。
車のエンジンをかければ聞こえたあの声をもう聴くことができない。あたり前のように繰り返されていた日常が明日は来ないという不安、寂しさが僕を襲う。
西に傾いた太陽に照らされて薄く茜色に染まる町が、どこか違う町のように見える。
思えば、同じような感覚を覚えた記憶がある。
僕はあまり映画館で映画を見る方ではないが、たまに上映映画を見て、映画館を一歩外に出たときに感じる町のよそよそしさに似ている。
町は言う。
「目に見えるもの、これが現実だ。お前が見てきたのは、あくまで空想の世界。現実には存在しない世界だ。目を覚ませ! どろどろとした世界、これが現実なのだ」と。
――映画の中で描かれる世界は現実には存在しない。本当にそうだろうか?
どんなジャンルの映画であっても、描かれているのは人の生きざまであり、スクリーンのこちら側にいる僕たちに、生きるためのメッセージを浴びせ続けている。それは非日常を描きながらも、どこまでも現実的であり、日常的なのだ。
僕はラジオの向こう側のスタジオやリスナーの声に耳を澄ませ、傾けた。そこにあるのは決して空想世界ではない。確かな現実だ。そこに生きる人の確かな息づかいがある。僕は聞こえてくる声に、自分と同じ思いを感じ、異なる意見に考えを巡らせ、新たな知見を得た。
僕は町に向かって言う。
「人はこの世に生を得たときからどろどろしている。人の存在そのものが不安定であり、確定的なものなど何もない。だからこそ、僕たちは生きている証が、確かな証が欲しくてラジオのスイッチを入れ、映画館のスクリーンの前に座る。非日常に見えるラジオこそが、映画こそが現実であり、そこに境界線などない。僕たちが生きるこの世界こそがすべてなのだ」と。
明日もまた、あたりまえのように会えることに疑問すら抱かなかった人と会えなくなる。僕たちは日常を失って初めて、自分が独りで生きているのではなく、見える人、多くの見えない人に、知らず知らず支えられていることを知る。まるで、病気になって初めて健康のありがたさを知るように。
何かが始まれば、必ず終わりがある。終わりがあるからこそ、始まりがある。
そうして永遠は創られていく。
終わりは始まり。茜色に染まった町は、次は必ず曙色に染まっていくのだ。
うえだひろのり
有限会社いわき損賠保険サービス代表取締役宅地建物取引主任者
一般旅行業務取扱主任者
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