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時間と空間の旅
上田裕則vol.91「どこまでも、どこまでも」
僕が、初めてまちメディアに文章を載せてもらったのが、二〇〇九年の一月号だった。生活設計塾というタイトルで、生活とお金にまつわる話を書いて欲しいというのが出発点だった。それは、僕が宅地建物取引主任者とファイナンシャルプランナーという資格を持っていて、いまは保険の仕事をしているけれど、前職で住宅メーカーの営業の仕事をしていたのが背景にある。
住宅の営業も保険の営業も、言ってみれば一人ひとりの生活に直結しているものだし、当然にお金から離れてはいられない。関わったものでなくては分からない、住宅を作る事、保険を掛けることの現実を伝えようと思っていた。今はすっかり体裁が変わってしまって、果たしてそれがどこまで出来たかは分からない。文章も、多分、今よりずっと稚拙だったかもしれない。あるいは、稚拙だったからこそ、伝わったものもあるかも知れない。文章は、書き手の手を離れてからは、全てが読者の手に委ねられてしまう。書き手の思いや意図がそっくりそのまま読者に伝わるとは限らない。
でも、一生懸命に書いたことだけは事実だ。
生きることは奇麗ごとではない。
この道を真っ直ぐ行くのか、曲がるのか。ここでアクセルを踏むのか、ブレーキを踏むのか。赤札値下げのどっちのカツオ買うのか悩む。アサヒを買うのか、キリンを買うのか。どの服を着て、どんな靴を履いて、誰に会ってどんな顔をしてどんな話をするのか。誰しもがそれぞれ固有の価値観を持って、その価値観に基づいた行動規範を持っていて、朝起きてから夜目を閉じるまで恐ろしいほどの判断、決断を下しながら生きている。
自分が何気なく言った一言で相手が急に怒り出したり、泣き出したりすることだってある。何がまずかったのかと聞けば、そんなことにも気が付かないのかと、追い打ちをかけられる。分からないから聞いているのに、分からないことを責められる。
攻める、攻められる立場は瞬時に逆転することもある。いま、自分を斬り付けていた同じ言葉で今度は、相手を斬り付ける。斬られる痛さを知っているはずなのに。
文章にも同じことがある。僕が一方的に書いた文章をどこの誰が読んでいるのか、分からない。自分が書いている文章が、どこの誰に、どう読まれているのか、気にならないはずがない。だから、僕はこのコラムを書き続けるのが、実は怖かった。
けど、僕は文章を書くことを辞められない。まるで文章を書くことが僕の人生そのもので、文章を書くことを辞めた時点で、僕の総てが終わってしまうような気がしているからだ。文章を書くことは好きだ。だが文章を書くことの怖さを僕は心のどこかで知っている。文章は自分自身に向けられた、自ら絶えず鋭く磨き続けている刃だ。
そして、いま、僕は僕が生きた証としての小説を書いている。
小説を書くことは時間と空間を操ることと同義だ。時と場所を設定し、人物を描き、事件を起こし物語を動かしていく。総ての登場人物は僕の人格を投影したもので、自分自身に向き合うこと以外に小説を書くエンジンは存在しない。
文章を書くことは楽しくもあり、怖くもあるが、書き続けることが出来るのも事実。そう、結局僕は文章を書くことが好きなのだ。
僕が僕であり続けるために、いつまでも僕は文章を書き続けていく。
うえだひろのり
有限会社いわき損賠保険サービス代表取締役宅地建物取引主任者
一般旅行業務取扱主任者
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