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 2010年11月号 ここ、いいね。
■この内容は2010年11月号に掲載された情報です。
いわき紙飛行機を飛ばす会
少年の頃の夢と人生を乗せて飛ぶ「模型飛行機」
様々な模型飛行機との出会い

 秋元さんは、千葉県出身の79歳。模型飛行機との出会いは、小学生の時でした。戦争が始まる頃、秋元さんが通っていた小学校では、授業の中に模型飛行機作りがあったそうです。学校で、自分で作った飛行機を飛ばす大会があり、秋元さんは四年生の時に一番になりました。「あいつは飛行機がうまい」学校中で評判になり、少年たちの憧れの存在になりました。この体験がきっかけで、良く飛ぶ飛行機作りに夢中になる「飛行機少年」が誕生します。
 大人になると興味や熱意はさらに深まり、軽さやバランスなどを緻密に計算。専門的な知識と高度な技術で作る秋元さんは、「自称、模型飛行機バカ」と呼んでいます。

科学的に考え、物をつくる楽しさを伝える

 全国の愛好家が集まって滞空時間を競う大会で、秋元さんは何度も活躍。また現在は「日本紙飛行機協会」の認定指導員となり、「いわき紙飛行機を飛ばす会」の代表を務めながら、学校や子供会、公民館や老人クラブなどで講師をしています。「今の子供たちに、物づくりの楽しさを伝えたい」秋元さんの少年時代からの夢と生き方が、青空の中を、今も模型飛行機といっしょに飛んでいます。

語りべとして炭砿の歴史も伝えています

 秋元さんは、大学で鉱山学を学んだ後、安全を確保しながら採炭するための技術者として、常磐炭砿に入社しました。当時石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれていて、戦後日本の近代化を進める基幹産業でした。日本の未来を背負い活気にあふれていた炭坑は、やがて石炭から石油へのエネルギー変換の時代を迎えます。常磐炭砿が閉山したのは昭和51年。秋元さんは最後まで炭坑に身を置き、炭坑の歴史とともに歩んできました。
 「常磐炭砿は、大量に湧き出す高温のお湯との闘い。今はそのお湯に助けられている」秋元さんは、小・中学校などから依頼されて、炭坑の当時の様子を子供たちに伝える役割も担っています。
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